「結論ありき」で中身はボロボロの交渉
カナダの市民によるキャンペーンから |
しかし、そのシナリオはもろくも崩れた。米国内の政府機能停止という理由からAPEC直前に決まったオバマ大統領の「欠席」。しかしこれは直接的なきっかけに過ぎない。確かに強烈なイニシアティブが不在だったことの影響はあるが、交渉の実態はそんなに単純ではない。
「年内妥結」という「目標」が明確に打ち出され始めたのは、3月・シンガポール交渉会合の頃からだ。私自身、シンガポール、5月ペルー、7月のマレーシアと3回の交渉会合に国際NGOとして参加したきたが、会合終了のたびに、「我々は年内合意に向けて大きく前進をした」という文言が前面に出された交渉国による記者発表が聞かれてきた。
しかし、蓋をあけてみると中身は「妥結」には程遠い。知的財産や環境、国有企業問題、市場アクセス(関税)など各国の対立点の溝は大きい。特に5月ペルー交渉の頃から、マレーシアは明らかに対米姿勢をはっきり打ち出してきた。例えば知的財産分野では、大手製薬会社の特許保護による利潤追求を主張する米国と、国内にエイズ患者が多く抱え、薬の特許保護による薬価高騰やジェネリック薬へのアクセス困難を懸念するマレーシア・ベトナムの対立は鮮明だ。ここには、「利潤か、いのちか」という本質的な問いがはらまれている。
環境分野では先進国である米国・日本などは高い環境基準を求めているのに対し、マレーシアやシンガポール、ベトナムなどは抵抗を示す。その根底には、3年半もの間米国主導で進められてきた「市場主義」を自国に直ちにあてはめれば、国内の貧困悪化や不安定化などを招くというアジア・中南米諸国の事情があり、また一貫して交渉を我が物顔で牛耳ってきた米国への不満がある。
独自の判断で情報を出し、市民社会にもアピールするマレーシア
注目すべきは、TPPは「徹底した秘密交渉」でありながらマレーシアは自国の判断で様々な形での説明や情報公開を国民に対し行なっているという点だ。例えば「29章あるとされる交渉テキストのうち、すでに14章が確定している」との政府発表を行なったり、交渉会合直後に、国民の誰もが自由に参加できる説明会を実施し約700名が参加したりという具合にである。
さらに、マレーシア政府は過去の自由貿易交渉において、「レッドライン」と呼ばれる独自の基準を持っている。「交渉でこれ以上の譲歩はできない。それをするようであれば撤退する」という線引きである。このレッドラインは具体的な項目が40ほどあり、国民にも公開されている。TPP交渉においても、このレッドラインを適用していくという方針が8月に明確になった。
APEC前後の時期に、ナジブ大統領は次のような発言をしている。
「TPPはこれまでマレーシアが結んできたどんな自由貿易協定とも違い、投資や貿易だけにとどまらない範囲をカバーしている。そのうちのいくつかは国の自己決定や主権を脅かす。マレーシアは、TPP交渉で決してイエスマンにはならない。閣議や国会審議を経て参加を決め、国民に説明責任を果たす。内政への自主権、知的財産権、投資家対国家の紛争解決、政府調達、政府系企業、環境、労働など、国家主権に関わる重要なテーマが含まれている。そのために年内妥結ができなくても問題ではない」
ここには明らかに、拙速に形だけの妥結を急ごうとする米国への強烈な批判とけん制が込められている。
もちろん、マレーシアには国内の政治背景として、TPPによってマレー人優遇政策が揺らげば政権の安定も脅かされるという事情がある。マレー系財界からの強い圧力が政府にはかかっているのだ。しかし強調したいのは、この3年半、エイズ患者支援団体や医療団体、NGOなどは政府に粘り強いロビイ活動を行なっており、その成果がいまの政府の姿勢に影響を与えているということだ。その中心人物の一人であり、私たち国際NGOの仲間でもあるマリー・アシュンタ・コランダイさん(東南アジアたばこ規制連合)は語る。
「最初は小さな団体がバラバラに活動していましたが、やがて連携をし、政府への働きかけが広がりました。著名な医師や、厚生大臣も患者の権利や健康が優先されるべきという私たちの主張に賛同して、政府へのプレッシャーをかけ続けたのです」
他国も米国主導の交渉と、極度の秘密裡に進められる交渉そのものに対する抵抗を少しずつ示し始めた。国会議員ですら交渉テキストも見ることができず、また交渉の詳細なプロセスを知ることができないという「異常な協定」に対し、ペルーやチリの国会議員は自国政府に対し情報公開を求める動きを起こしている。
ニュージランドのキャンペーンサイト |
堕ちる米国の「威信」、焦る米国財界
こうした抵抗の中、いま米国は「苦境」に直面している。何としても来年の中間選挙までにTPP妥結を成果としてあげたいオバマ政権だが、事態はそれどころではない。
「政府機能停止で資金がなく更新しない」というUSTRウェブ |
USTRの資金難というのはかねてからささやかれていた。ブルネイ会合後の個別分野ごとの「中間会合」は、交渉の速度を速めるために設定されたもので、10以上の分野が各地で同時多発的に開催されてきた。それらのほとんどは米国にて、いくつかの分野がカナダやメキシコだ。つまり米国にとって最も移動距離が少なくてすむ北米で開催されているのだ。米国は移動コストも人件費も削減できるということになる。
一方、米国財界と政府との足並みも完全に一致しているわけではない。これまでは「年内妥結を急げ」と強烈なロビイ活動を行なってきた多国籍企業だが、「形だけの合意」「スケジュールありきの妥結」では、自分たちの獲得目標が二の次にされるのではないかとの懸念を持っている。つまり妥結を急ぐがために、内容を他国に譲歩してしまうことへの危機感だ。米国財界は当然のことながら、高い自由度の貿易協定を望んでいる。また知財のように米国企業の特許保護を求めている。そこを譲歩しての年内妥結は、結果的に利益にならないのだ。大手医薬品企業の連合体である米国工業薬品協会(Pharma)は、「拙速な交渉の進展ではなく、中身の獲得を優先せよ」との声明をUSTR向けに出している。いってみれば財界の勝手な言い分でもあるのだが、いずれにしても米国内での齟齬は確実に存在する。
9月、USTR前での市民によるアクション |
こうした世界の動きの中で、日本政府そして私たち日本の市民社会はどのような立ち位置にいるのか、また何をすべきなのか。
まず、思うように交渉を先に進められない米国は、推進役を日本に担ってもらいたい意向ではないか、というのが国際NGOの見方だ。簡単に言ってしまえば米国の意思を日本に実行させるということだ。その証拠に、11月の首席交渉官会合は日本で開催される可能性もささやかれている。これはもちろん日本にとって最悪である。そもそも日本政府はこれだけ不利な交渉に遅れて参加しておきながら、攻めるもの・守るものの方針や具体目標を私たちに示していない。関税交渉だけがTPPの内容ではなく、医療や保険、金融など多くの分野において、いったい政府が何を獲得しようとしているのか、まずは明らかにすべきである。(そもそもの参加が公約破りだったということは言うまでもなく、その意味では即時撤退することが原則的には正しい)。
国際市民社会は、日本の市民に期待をしている。「これだけ不利な交渉に遅れて入り、どの国よりも日本の人びとにとってTPPは負の影響を与える。そのことを多くの人が知れば、さらに反対運動は広がり、強くなる」と考えられているのだ。言い換えれば、それだけ私たちにとってTPPは「異常であり危険」ということだ。TPPの年内妥結は、現実的には無理である。まともにやればあと1年以上はかかる交渉を、米国は政治的決着によって妥結しようとしてくるだろう。そのこと自体を阻止し、間違っても日本がそこに加担しないように働きかけなければならない。
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