ここでは「活動家で食べていくには?」を書きました。ほんのさわりをご紹介します。興味ある方はぜひ雑誌を購入してください!
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活動を仕事にする!―活動家一丁あがりの経験から
内田聖子(NPO法人アジア太平洋資料センター事務局長・活動家一丁あがり!実行委員)
2012年夏。この時期は、日本の社会運動の歴史の中で大きな転換点として歴史に刻まれることになるだろう。そう確信したのは、「脱原発」のシングルイシューで3月以降、首相官邸前で毎週金曜日夜に行われてきた直接抗議行動の参加者が6月末に飛躍的に膨れ上がり、ついには十数万人規模にまで達したその日だ。私自身もまさにその中に参加していた。ある時点まで有効だった警察の警備と規制が突然「決壊」し、人びとは路上へとあふれ出し、あっという間に官邸前の路上が埋め尽くされた。「人の波」というのはまさにこういうことを言うのだと漠然と感じながら、他の多くの人たちと同じように私も興奮していた。
この行動についてはさまざまな「解釈」と「評価」「批評」がある。ここでは詳しく論じないが、一般参加者からではなく主には広い意味で社会運動の側の内部からなされているようだ。たとえば、「主催者はなぜあんなに警察に従順なのか」「管理されたデモだ」という批判、また後に主催者の首都圏反原発連合が野田佳彦首相と面談することになった際には、「なぜ官邸前の主催者が反原発運動全体の代表顔をするのか」という批判などだ。その多くはかつての学生運動経験者や左翼活動家から出されているようだが、私自身はこうした類の「批判」にはかなりの違和感を持つ。もちろん過去の運動を否定するつもりは毛頭ないが、単純にいえば「文句があるなら自分でやれば?」と思うだけである。誰もそれを阻んではいない。
話を戻そう。
いずれにしてもこの脱原発運動の大きなうねりは、過去30―40年の歴史の中でも特筆すべき新たな運動の萌芽といえる。もちろん、東日本大震災と福島第一原発事故、そしてそれに対する政府と東電、学者、財界、政治家、マスメディアの対応・態度を考えれば、人々の怒りが爆発するのは当然である。参加者の属性(動員ではなく自由意思だ等等)についての議論もあるが、とにかく首相官邸前に十数万人の人びとが集まり、多くの人がそれを現場やメディアを通して「目撃」した。私自身は、この運動のささいな不備やこれまでの運動との相違点を論評することよりも、この紛れもない事実からすべての議論を出発させたい。そしてその議論の向かう先は、「この社会に活動家や活動を、どうやってさらに広げ、豊かにしていくか」である。言い換えれば、それを最も大切な優先課題としなければならないほど、日本社会は深刻な危機を迎えていると思うのだ。(続く)
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