2019年11月5日火曜日

RCEPとは何か―日本など先進国が求める自由貿易ルール


※本稿は2017年8月時点での原稿である。2019年11月4日、RCEP参加国はタイ・バンコクにて「インドを除く15カ国での合意を目指す」との共同声明文を出した。今後、インドの動向はもちろん、最終合意に向けた動きが加速すると思われるが、そもそもRCEPとは何か、各国はどのような意向を持っているのかを概説するため、2年前の記事を再掲する。特に、アジア各国(特に途上国)の農民、先住民族、労働者にとって日本や韓国が提案してきたTPPレベルの知財、投資、電子商取引ルールは「有害」とされてきた。インド離脱に際しても、インド国内では農民、労働者、女性たち等による強固な反対運動が展開されてきた。こうした事実を含めて、メガ自由貿易協定の問題を包括的に考える契機にしていただければ幸いである。(2019年11月4日)




RCEPとは何か
 二〇一六年一一月、米国でトランプ大統領が誕生してから、世界の風景は一変した。最も大きな出来事の一つは、米国のTPP撤退だろう。二〇一〇年以降、米国はTPPやTTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)などの自由貿易協定を通商政策の柱に位置付け、交渉では一貫して主導権を握ってきた。その米国自身がTPPを「悪しき協定」と定義し撤退したことは、あまりにも皮肉な結末だった。
 TPPの難航と崩壊は、決して特殊な事例ではない。WTO停滞の中で二国間貿易協定(FTA)が推進され、その延長上に二〇一〇年以降に到来したのがメガFTA時代だ。現在交渉中のメガFTAは、TPP、TTIP、日EU経済連携協定、TiSA、日中韓FTAなどである。これらは交渉開始から約四年以上経つが、いずれもこの一~二年で明らかに停滞している。RCEPもその一つである。
 二〇一三年五月から始まったRCEP交渉は、ASEAN一〇か国(ブルネイ、ミャンマー、カンボジア、インドネシア、ラオス、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム)と、ASEANと自由貿易協定(FTA)を締結している中国、インド、日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランドの計一六カ国による自由貿易協定である。TPPの経済規模は三一〇〇兆円(世界貿易の約四割)、八億人の市場であるのに対し、RCEPは約二〇〇〇兆円(世界貿易の約三割)、人口では世界全体の約半分の三四億人もの広域経済圏となる。
 交渉分野は広く、モノとサービスの貿易から、投資、知的所有権、食の安心・安全、電子商取引、中小企業、経済的・技術的な協力、など合計一五分野と言われている。
 秘密交渉で進められている点もTPPと共通している。実はRCEPにはTPPの時のような「保秘契約」は存在しないのだが、TPP交渉よりも政府からの情報量は圧倒的に少なく、また漏洩されるリーク文書も少ない。ところがビジネス界はかなり交渉にコミットしており、ここに情報開示の非対称性が存在する。私自身は二年ほど前から国際NGOメンバーの一員として、RCEPについても情報収集と発信を行ってきたが、日本でほとんどの人がRCEPを知らないし、マスメディアもほとんど扱わない。

中国主導というミスリード
 RCEPには、文化や宗教、そして経済発展の度合いも、TPPをはるかに超える多様性・多元性が存在している。事実、一六カ国の経済指標は大きな開きがある。中国、日本などの経済大国をはじめオーストラリア、韓国などの先進国が含まれる一方、最も貧しい後発開発途上国(LDC)やインドネシア、フィリピンなどの中所得国も参加する。LDCとは、所得水準、健康や就学率、経済的脆弱性などを基準に定義する国々で、現在、世界で四八カ国が該当する。RCEP参加国の中ではラオス、カンボジア、ミャンマーだ。例えばラオスでは一日一.九〇ドル未満(年間約七万六〇〇〇円)で生活する「絶対的貧困層」は、全人口六五〇万人のうち過半数もいる。こうした国と、日本など先進国との経済格差はあまりに大きい。
 RCEPは「中国主導」とよく比較される。しかし、様々な情報や各国NGO、交渉官と話す中で得られる印象は、決してRCEPを主導するのは中国ではないということだ。
ここには二つの意味がある。RCEPの原点は、二〇一一年一一月、インドネシア・バリ島で開催された第一九回ASEANサミットにおいて、アジア広域経済圏の構想として出された提案である。交渉の中でも、ASEANの結束は堅く、まさに一六カ国の「ハブ」の役割として、日中韓印豪NZの六カ国に対峙しているというのが基本的な構図だ。実際、LDCや低所得国の中には、二~三カ月に一度もある会合に交渉官を派遣する資金に苦しむ国もあるため、大国の都合で交渉が進まないよう結束する必要もある。
 「中国主導」がミスリードであるもう一つの側面は、日本やオーストラリア、ニュージーランド、韓国のイニシアティブである。これらの国はTPP参加国あるいは米国とFTAを締結済みの国である。言い換えれば、TPPや韓米FTAの強い自由化水準を「すでに了解した」国である。TPPの雲行きが怪しくなる中で、「TPPグループ」の国々は、TPPと同じ内容をRCEPにて提案するようになる。インドや中国はといえば、それぞれの自国の論理で鵺のように対応している印象がある。創設五〇年にあたる二〇一七年中の妥結をめざすASEANは早期合意を優先しつつも、急激で高い水準の自由化は受け入れがたい。こうした利害と思惑の中で、一五分野のうち大筋合意に達しているのはわずか二分野だけだ。

RCEPで問題となっている分野
 実際にRCEP交渉にてどのような分野が懸案となっているのか。関税交渉の他、非関税障壁つまりルールに関する分野(投資、知的所有権、サービス、電子商取引など)は広く、それだけ対立点も多い。国際NGOの分析やリーク文書、海外メディアなどから読み取れる内容をまとめてみると次のようになる。
◆農産物の関税
 主要分野の一つは、農産物などの関税問題である。すでにASEANが日中韓豪印NZと締結済のFTAで決めた関税撤廃率からさらに自由化率を高めることがRCEPでの目標となっている。ASEANとFTAを結ぶ六カ国のうち関税撤廃率が際立って低いのがインドである。他の五カ国のそれが九〇%台となっているのに対し、ASEANインドFTAでは七〇%台である。インドは中国からの安い農産物が流入してくることを警戒し、関税撤廃にはかなり消極的で、そのことが関税交渉を難航化させているといわれる。

◆知的財産分野における医薬品の特許権
二〇一五年一〇月、RCEPの知的財産分野のリーク文書が公表された。ケルシー教授の指摘通り、そこには日本と韓国がTPPと同水準の特許保護を主張している。
 問題は大きく二点ある。一つは医薬品の特許期間延長だ。提案では、製薬会社が持つ薬の特許期間を現行の二〇年より五年間延長できるとある。これにより特許を持つ先発医薬品メーカーは薬価をより長く高いまま設定することができ、ジェネリック医薬品を製造できる時期は先延ばされてしまう。
 もう一つは、薬の登録に必要な臨床試験データを新薬開発メーカーが五年間独占できるという提案だ。特許が切れた薬のジェネリック版を製造したいメーカーには薬の登録が求められるが、その際に必要な臨床試験データが独占されていれば、自ら臨床試験データを集めるしかない。そこには膨大なコストがかかるため、この「データ保護規定」は事実上、ジェネリック医薬品製造を妨げる条項となる。TPPでも製薬企業の利潤を代弁する米国とその他の国の間で最も熾烈な対立となった条項であり、WTOのTRIPS協定における特許の保護規定よりも強いものである。
 これに激しく抵抗しているのは、インドおよびASEA諸国である。インドは世界有数のジェネリック医薬品製造国で、「途上国の薬局」とも呼ばれている。独立の父マハトマ・ガンジーは、「独立国家であるためには、医薬品を自国で調達できなければならない」という思想のもと、ジェネリック医薬品産業を国策として保護育成してきた。WTOでも知的所有権兼財産権強化に反対し、医薬品アクセスの必要性を訴えてきた国の一つである。「国境なき医師団」によれば、現在もインド製の安価なジェネリック版HIV治療薬によって、世界で一七〇〇万人もが治療を受けられているという。
 もし日韓の提案がRCEPで実現してしまえば、インドでのジェネリック薬製造は困難となり、それに頼る世界中の人々に深刻な打撃を与えかねない。LDCのラオス、カンボジア、ミャンマーだけでなく、例えば国内のHIV陽性患者にインド版ジェネリック薬を無償で提供しているマレーシアなど中所得国にも影響が及ぶだろう。エイズ治療薬に限らず、薬剤耐性結核やウイルス性肝炎、非感染性疾患、薬剤耐性など、新たな公衆衛生対策に不可欠なジェネリック薬とワクチンを、インドのジェネリック医薬品産業が製造してくれることを世界の貧困国は期待しているが、それらの国にも連鎖的に影響する危険がある。
 過去数十年の自由貿易促進の中で、先進国のグローバル企業の意向に沿って知的財産は強化されてきた。ジョゼフ・E・スティグリッツ教授は、「TRIPS協定は、先進国政府と大手製薬企業のためのものであり、途上国の人々への『死刑宣告』だ」と指摘している。インドなどの市民社会は、TRIPS協定よりも強く、TPP並みの知財強化を提案している日本や韓国への批判を強めており、私たちはその加害性に無関係ではいられないはずだ。

知的財産分野での「農民の種子の権利」への危機
 知的財産分野における「種子」の問題には、農民たちが強い懸念を示している。
「緑の革命」以降、アジア全体に種子企業が進出し、農民たちはその種を購入するように変容させられてきた。しかしそれでもアジアの小農民の多くは、自ら種子を保存し、自由に交換し、異なる種子をかけあわせ、次の作付をするという長い伝統を守り伝えている。実際には種子企業はアジア市場へのさらなる参入を狙っている状態だ。
 RCEP交渉のリーク文書によれば、日本と韓国が「一九九一年植物の新品種の保護に関する国際条約(UPOV一九九一条約)」の批准を参加国に義務づけようと提案している。同条約は、植物の新品種を「育成者権」という知的財産権として保護することが可能にする。一九九一年版の条約署名国・組織は五二のみで(日本は一九八二年に署名)、決して大半の国が署名しているわけではない。現在、世界の種子市場の六割以上がモンサントなどの大企業六社によって占められているが、UPOV一九九一年条約はそうした企業の利益に即した条約であり、企業による種子の私有化を認め、農民に経済的負担を強いるとして、中南米はじめ途上国の農民からは「モンサント条約」と批判され続けている。TPPの知的財産権章でも同条約の批准が義務付けられており、やはりTPPの内容がRCEPに持ち込まれた事例である。
 この条約の下、種子が特許で保護されてしまえば、農民は企業に特許使用料を支払わなければならない。外部供給への依存度が高まり、食料の安定供給や食料主権も脅かされることにもつながる。何よりもこの「私有化」は、アジア地域が共通にもつ「共有」(コモンズ)という概念に反し、また現時点での農民たちの現実世界とはかけ離れた制度の導入となる。

◆ISDSと途上国
 さらに、TPPでも主権を奪う大問題と批判されたISDSも、RCEPの投資章に提案されているという。またしても日韓の提案だという。
ISDSとは、投資先国の政策や法制度の変更によって「当初予定していた利益」が損なわれたと投資家がみなした場合、相手国政府を訴え、勝訴すれば多額の賠償金を得られる投資家保護のしくみだ。環境破壊や先住民族の強制移住を引き起こした大規模開発を、政府が差し止めた直後に、大企業から訴訟を起こされたケース(エクアドルやペルー)、料金高騰や水質悪化のため水道の民営化契約を継続しなかったためグローバル水道企業から訴えられたケース(アルゼンチンやボリビア)など、世界の訴訟事例は年々増加している。
 過去に大企業から訴訟を起こされ、多額の賠償金を支払ってきた途上国や低所得国の市民社会は、RCEPの中にISDSが規定されれば、一六カ国共通の「使い勝手のいいツール」として普遍化し、訴訟ケースが増える危険があると導入に反対している。少なくとも公衆衛生や環境、金融規制などに関し政府がとる措置については、ISDS適用の「例外」としなければ、この懸念は拭えない。

◆「労働」や「環境」の章が存在しない
 知的財産やISDSなど、TPPでの「有害規定」がRCEPに持ち込まれているのとは対照的に、「労働」「環境」の章はRCEPにない。日本政府は「二一世紀の貿易ルールとして、TPPには環境や労働の章も入った」と喧伝していた。その内容は不十分であったと私たちは分析しているが、少なくとも本来RCEPに持ち込むべきはこれらの分野である。一度は豪州が提案したものの、中国の反対にあって交渉分野にはならなかったと報じられており、これらも先進国と途上国が対立する論点となっている。

なぜメガFTAは妥結しないのか?―新たな貿易のルールを
 メガFTAが妥結・発効できない個別の理由は当然あるが、各協定がリンクしながら自由化水準を高める装置として機能していることが大きな背景にある。各交渉経過から見えるメガFTAの「困難」は、主に次のように整理できる。
①貿易協定が関税中心だった「貿易」の枠組みを超え、サービスや金融、投資の自由化、それに伴う国内制度改革を強いる「ルール」へとシフトし、交渉範囲が非常に広くなっている。
②交渉参加国の経済発展段階や規模には大きな差があり、先進国と多国籍大企業が求める強い自由化ルールにすべての国が合意できない。特に途上国を含む場合、公衆衛生(医薬品を含む)や公共サービス、国有企業などの分野での対立が鮮明となる。
③先進国もこれまでの自由貿易推進に伴い国内産業が空洞化し雇用が海外へと流出。格差も広がっている。そのことのとらえ返しとしての自由貿易批判が各国で生じている。
④既存の投資家対国家紛争解決(ISDS)の非民主性・不公平性がどの貿易協定でも市民社会から厳しく批判されている。
⑤民主主義に反する秘密交渉についても、市民社会も国会議員からも批判が起こっている。しかもビジネス界は交渉内容にアクセスできる一方で、市民社会の多様なステークホルダーには秘密という非対称性への不満が高まっている。

 途上国は自由化を受け入れグローバル経済に適応したいと思う一方で、国内の貧困削減や医薬品アクセス、公共サービスの充実という社会開発的なゴールも目指さねばならない。この両者が対立的になっているために交渉も進まないのだ。発展段階に応じた関税率や保護政策、社会開発的な課題を解決するようなインセンティブを貿易協定の中に埋め込めないものかと常に考える。国連ミレニアム開発ゴール(SGDs)の達成を可能にするような貿易のあり方である。
WTOもメガFTAも矛盾と限界を露わにする中、世界は確実に次の貿易体制を模索せざるを得ない状況まで来ている。ならばこれらの課題を解決しつつ、公正で公平な貿易のフォーマットをつくることこそが求められている。