TPPやTTIP(米国とEUの貿易協定)、TiSA(新サービス貿易協定、日本も参加)など、いわゆる「メガFTA」は行き詰まりを見せている。2016年11月の米国大統領選の結果、共和党候補者のドナルド・トランプ氏が勝利したことで、氏の言う「TPPからの離脱」が本当になされれば、TPP協定は完全に頓挫することになる。また米国がTPPから離脱しないとしても、再交渉となるのは必至であり、改めてその内容は変わっていくこととなる。また米国とEUの貿易協定TTIPも、EUとカナダの貿易協定CETAも、市民社会からの強い反発を受け、交渉は停滞している。
WTOの後の通商交渉レジームとして2013年頃をピークに世界の多くの地域をカヴァーする貿易協定として登場したメガFTAだが、実情は米国がこれまでの貿易協定で使用してきた協定文のフォーマットを流用しながら、大企業や投資家にとってさらに有利となるルールづくりがなされてきたと言える。TPP協定の中にも、知的所有権(医薬品の特許や著作権保護)の強化や、投資家対国家紛争解決の制度(ISDS)、食の安心・安全を脅かしかねない規定など、グローバルにビジネスを展開する側にとっては有益だが、各国の国民の暮らしにとっては脅威となる規定が数多く含まれている。
経済力も国の制度も異なる多様な国々が、このような単一のルールに適合させられ、各国内の法律改正や規制緩和を強いられる現在の貿易協定の無理と矛盾が露呈したことが、これら貿易協定が漂流していることの大きな理由であろう。またこれらの貿易協定はいずれも秘密交渉であり、各国の市民からは民主主義という観点からも批判されている。
歴史を振り返れば、1980年代に始まった新自由主義の流れは、自由貿易を推し進めてきたが、当時経済理論として持ち出された「トリクル・ダウン」は、30年たった現在、実現しなかったことが数々のデータから判明している。フランスのトマ・ピケティが指摘し、またOECDレポートでも指摘されているように、貿易の自由化は貧困と格差を是正するどころか、逆にその主要な原因となっているのである。著名な経済学者であるJ.スティグリッツは、自由貿易の推進によって貧困や格差が広がり、米国における貧困者の医療アクセスが今以上に悪化することを指摘している。
シエラクラブやOXFAMなどの国際NGOは、環境や開発という視点から、大企業優先のルールである自由貿易協定に批判的見解を呈している。2015年6月、国連の人権専門委員10人が、TPPやTTIPなどの協定は、医療や医薬品、水道などの人間にとって欠かせない基本的サービスへのアクセスから、人々を阻害する危険があるとの韓国も出している。国連の人権専門家も「人権条約や開発目標についてきちんと触れないままに、TPPに署名してはならない。TPPには根源的欠陥があり、国家が規制できる余地が担保されないかぎり署名も批准もされるべきではない」と各国に警鐘を鳴らす声明も発表している。
このようにメガFTAが行き詰まる中で、日本政府は東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の交渉を促進している。しかし日本ではRCEPについての周知はほとんどなされておらず、米国大統領選の直後、TPP漂流の可能性がある中でにわかにRCEPにも注目が集まったものの数日間だけだった。
RCEPには米国は含まれず、中国やインドなどアジアの大国、そしてAESEAN諸国などが入っており、先進国である日本のプレゼンスは大きい。RCEPの第16回交渉会合は2016年12月5日~12日まで、インドネシアのジャカルタで開催された。この会合の終了時に、次回の第17回会合は2月末~3月初旬に神戸で開催されることが正式に決まった。
後述のとおり、RCEPはアジア全体を包括するメガFTAであり、多くの開発途上国も含まれている。国際市民社会はRCEPにTPPのような大企業優先のルールが持ち込まれることを強く懸念しており、日本の提案についても批判が寄せられている。特に、貿易自由化による経済効果のメリットだけがクローズアップされる中で、アジアの途上国における貧困削減、医薬品アクセス、農民の種子に関する権利など、社会開発や人権にかかわる領域で問題が起こることが予想される。
先進国としての日本が交渉会合のホスト国となるこの機会に、改めてRCEPについての周知を国内外に行ない、国際市民社会の声を交渉官に届け、人々にとって本当に意味のある貿易政策がとられるようになることは極めて重要である。市民社会の側から、環境や人権に配慮し、貧困削減や地域経済の発展に貢献するような貿易のあり方を提言することがその中心的課題となろう。経済の発展段階も、文化も、宗教も様々であるアジア太平洋地域において、多様性・多元性を活かしながらの経済協力について、研究者、国会議員、NGO、労働組合、市民団体、個々人が協働して提言できればと思う。
★RCEPとは?★
RCEP(Regional
Comprehensive Economic Partnership)は、日中韓印豪NZの6カ国がASEANと持つ5つのFTAを束ねる広域的な包括的経済連携構想であり、2011年11月にASEANが提唱した。その後、16カ国による議論を経て、2012年11月のASEAN関連首脳会合において正式に交渉が立上げられ、実質的な交渉は2013年5月から始まった。
交渉参加国は、ASEAN10か国と日本、中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、インドである。
★RCEP交渉参加国★
インドネシア、カンボジア、シンガポール、タイ、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオス(以上ASEAN10か国)、日本、中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、インド
RCEPが実現すれば、人口約34億人(世界の約半分)、GDP約20兆ドル(世界全体の約3割)、貿易総額10兆ドル(世界全体の約3割)を占める広域経済圏が出現するといわれる。RECPはTPPと比較すれば、自由化度も低く、各国の保護措置もそれなりに担保されるといわれるが、農産物の関税だけでなく、サービス貿易や知的財産権など幅広い分野が交渉の対象とされている点はTPPと共通している。
RCEP交渉もTPPと同じく、交渉内容は秘密だ。参加国の市民社会はネットワークをつくり、リークされた文書などを共有・分析しているが、限られた情報の中で交渉内容を分析し問題提起をしていくことは極めて困難だ。重要な問題は、リーク文書によれば、知的財産分野にて医薬品特許に関して、日本と韓国がTPPと同じ水準の強い特許権保護を主張しているとの情報があることだ。もしこれが実現されれば、アジアの貧困国での医薬品アクセスは困難となる。ベトナムやマレーシア、ラオス、カンボジアなど貧困層も多くエイズ患者も多い国々の市民からは、日本のこの提案に対して、「撤回してほしい」という強い懸念が表明されている。「国境なき医師団」も、TPPだけでなくRECPにおいても製薬大企業の利益が優先されることへの警告を発信している[1]。
RCEPにはラオス、カンボジア、ミャンマーなどの後発開発途上国(LDC)が含まれる。こうした国ぐにとっては、RCEPによって国内産業が民営化されたり、大幅な規制緩和が行なわれれば貧困解決どころか、国内の格差は広がっていくと思われる。また医薬品アクセスが阻害されることによって、患者には大きな負担となる。まさに貿易が人々の命や暮らし、人権に有害な結果をもたらすことになりかねない。
またRCEPにはTPPと同様、投資家対国家紛争解決(ISDS)が含まれていることもリーク文書が明らかにしている。投資家からの巨額の賠償請求がなされれば途上国はもちろんアジア各国政府にとっては大きな負担となる。RCEP参加国の市民団体は、RCEPからISDSを除外するよう求める要請文を各国政府に提出している。[2]
これまでRCEPに参加する国の市民社会は、協力してすべての交渉参加国政府に要請文を提出するなどして、人々の声を交渉に反映させようとしてきた。しかし秘密交渉の壁も厚く、また大企業や投資家寄りの交渉の進め方のせいで、こうした声はなかなか汲み取ってもらえないのが現状である。交渉も長期化し、2017年には妥結という目標が立てられる中で、日本における第17回交渉会合で市民社会がどのような提言を行なうのかは非常に重要なポイントとなっている。日本が先進国としてどのような姿勢でRCEPに臨むのか、また「貿易と人権・環境・貧困削減」という対立的な課題をいかにして調和させ、未来の貿易のあり方を提言していけるのか、日本が果たすべき役割は大きい。
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